2009年世界的なインフルエンザの流行を水際で食い止めようと日本政府が様々な 対策を講じたことは、耳目に新しいところです。ワクチンは先ず医師、看護師、子供、お年寄り、次々に大人へと接種対称者に順序をつけ流行を源から絶とうと しました。10人用のワクチンでは、最後の2人をこのビンから使うと、残り8人分は余ってしまうので1人用を作ってほしいという声も上る程でしたが、数千 万人分というワクチンは日本だけではまかない切れずに輸入に頼り、インフルエンザが終息してみれば大量に余るという嬉しい悲鳴も上がりました。空港では飛 行機の中での聞き取り調査、入国審査場は長蛇の列でパスするまで数時間もかかる有様でした。それでも水際作戦防疫の為と日本人も外国人もじっと耐え忍びま した。それは過去に起ったスペイン風邪や香港風邪の流行を教訓にした防疫体制で、もしその教訓がなかったらどれ程の人が発症し、死亡していたことだろう。
またそれは、アメリカに於ける小児麻痺ポリオから得た教訓でもあったようです。国 際ロータリーの機関誌ザロータリアン6月号によれば、世界で最初にポリオの特徴である片足の変形した聖職者の絵が描かれた石板はなんと紀前 158~1342年もの前のことでした。(写真上)風土病であるポリオは恐らく、旧約聖書にあるイスラエルの民のエジプト人脱出によってイスラエルから中東へと持ち込まれ、やがて中東全域に拡がったポリオはパキスタンを通じてインドから東南アジア へ、またシルクロードを通じて中国、朝鮮、日本と伝わったに違いありません。他方ヨーロッパへはキリスト教徒、イスラエル教徒の往来、十字軍等によって伝 藩したのかも知れない。その詳しい伝藩経路がわからないのは現在宮崎県下で育成農家ばかりか、その他の産業にまで影響を及ぼしている、牛や豚にかかる伝染 病の口蹄疫がどこからどのような経路でやって来たか解らないのと似ています。1900年代初頭アメリカで大量発生したポリオに対する恐怖は正に宮崎県民の 夫に匹敵するものであろうと考えられます。
処でポリオに関する記述は1789年には既に存在し1835年にはイギリスの工場 で4人のポリオ患者の発生が報告され1840年にはヤコブ・フオン・ハイネ医師によってポリオは伝染病であると公式に認められたのでした。アメリカに於け る最初のポリオは1894年イギリスからの移民によってつくられたバーモント州(アメリカ東北部)で発生しました。やがてカール・ランドスタイナー博士に よってウイルスが原因で起こる伝染病であることが証明され、初めは、マラリアのように蝿によってそのウイルスが運ばれ伝染するものと考えられたのです。現 在80才以上の人は鮮明に覚えているでしょう。1945年第二次世界大戦(太平洋戦争)が終わると進駐してきたアメリカ軍はシラミ退治として私達1人1人 に頭からつま先までDDT白い粉の殺虫剤を吹きかけたものです。同じ年のアメリカ・タイム誌はアメリカ軍需省はポリオの流行に苦しめられていたイリノイ州 (ロータリーの発祥地シカゴのある州)
ロックフォードの町全体を白い粉で覆うようにDDTの散布をみとめたと報道しまし た。蝿を絶滅してポリオを防ごうとしたのです。このDDTはのちに人体に害があるというので、アメリカでも日本でも散布は禁止されました。しかし現在は蝿 によって伝染するものではなく腸内にあるポリオ細菌が環境の悪さから人から人へと伝染するもので特に貧しい人に多く、気温の高い夏秋に伝藩するウイルスで あることが知られています。私達が浴びたDDTの粉は蝿を駆除することよるポリオの発生を防ごうとする一連の実験であったのかも知れません。敗戦当時貧し く、しかも夏から秋へかけての悪い時期だったのでその環境を改善する為の手段でもあったのでしょう。
処でアメリカがポリオに苦しんだ歴史は悲惨なものでした。1916年初頭、27000 人の患者が発生、その年の暮までになんと6000人もの人が亡くなりました。ニューヨーク市では9,000人もの患者が発生2,343人もの人が亡くなっ ているのです。1934年ロサンゼルスでポリオが発生した時、治療に当った医師の5%、看護師の11%がポリオにかかってしまったのです。一昨年日本で発 生した新型インフルエンザワクチンを先ず医師や看護師に与えたのもこの時の教訓からでしょう。処で小児マヒ(ポリオ)は読んで字の通り子供にしか発病しな いと思われていたのですが、フランクリン・デラ・ノルーズベルトは39才の時に発病、その後アメリカ合衆国大統領になったのですが、このことが大人でもポ リオにかかることをホワイトハウスから証明したのでした。第二次世界大戦(太平洋戦争)当時から日本でもそれは知られていました。太平洋戦争後7年目の 1952年にはアメリカでは1分毎に1人の患者が発生 公式記録によると57,879人という驚くべき数の患者の発生を見ました。又、記録にはありませんが1980年の最盛期には世界中のポリオの発生数は50 万人に上り、麻痺や死亡という悲惨な状況に陥ったといわれ、その為に今から22年前のポリオ撲滅運動が始まったという訳です。ポリオの恐ろしさを知りつく しているアメリカだからこそイリノイ州シカゴを本拠とする国際ロータリーがその運動を始めたのでしょうし、ビルゲイツ財団が2億ドルの基金を拠出すると申 し出した理由もよく解ります。
しかし、2010年3月19日付読売新聞 の報道によると今年の2月神戸市内の男児がポリオを発生。その原因は本人は予防接種を受けていなかったので、他の子供に投与したポリオの生ワクチンによる ポリオウイルスが移ったとの結論に達したそうです。ワクチンには生ワクチンと不活性化のワクチンがあり、生ワクチンは生きたウイルスである為、このような 現象が起こるとか。日本ポリオの会の世界分布地図を読むと生ワクチンを用いている国は、日本、中国、モンゴル、北朝鮮、インド、マレーシア、パキスタン、 カンボジア、ベトナム、スリランカ、インドネシア、香港、ニューギニア、アフガニスタン、トルクメニスタン、イラン、イラク等々の国では毒性が少ないとは 云え、生きているポリオウイルスを使ったワクチンを予防接種に使うので神戸の男児のような患者が発生するのです。日本では、神戸のような被害者の出ない不 活性化ワクチンを開発、厚生労働省に認可を求めたのですが、追跡調査が充分でないとの理由で認可が下りず、遂に2005年治験と製造を中止、不活性化ワク チン使用の望みは絶たれました。今後の課題が私達に残されたといって良いでしょう。国際ロータリーRIの公式機関誌ザロータリアンの詳しい解説によって、 何故RIがポリオ撲滅に熱心なのかが理解出来た2010年6月でした。