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1929年 世界大恐慌とニューディルの実態

2008年アメリカ民主党のオバマ候補が大統領選に当選した年、アメリカ発の100年に一度といわれる、1929年以来の世界的大不況の時代に突入しました。

世界一の生産国であったアメリカは1914~1918年の第一次世界大戦の戦争ブームによって富が集中したのですが、1929年10月24日突然襲った株価大暴落により一気に「富からボロの国」「たたきのめされた国」に転落したのです。

現在の日本や中国その他の国のように、景気が良く金廻りが良くなると人々は株や証券取引に走ります。不動産の証券化に加えて人々はより多くの儲けを出そうと信用取引に走り、一度金融不安が起ると銀行のみならず基幹産業を始めとする全ゆる業種にまで被害が及びます。巨大銀行、証券会社のみならず世界一のトヨタ自動車ですら赤字に転落したのですから他はおして知るべしです。

1929年のアメリカは株価の大暴落によって8,701億ドルもあった株式の薄価が1週間で550億ドルに、1933年3月には遂に190億ドルと、何と株価は80%近くも下落したのです。今2009年の日本やアメリカその他の国と何と似ていることでしょう。これで銀行の倒産の起こらないのが不思議で、1日40もの銀行が破産、倒産していきました。それ迄のアメリカがどれ程国力があり資産があったかを現す数字があります。

1899年から1927年までの増加率

化学製品239% 食糧551% 機誡562% 紙印刷614% 鉄及鉄製品780%

運輸及運輸施設969%

そして工業によって附価された価値は

1899年    1,481,000ドル

1927年   31,783,000ドル  と何と30倍

生産物の価格は

1899年    11,407,000ドル

1927年    69,961,000ドル と6倍にもなったのです。

ゴールデン ツェンティ(THE GOLDEN TWENTY)黄金の20年

ローリング ツェンティ(ROLING TWENTY)    栄光の20年

と云われた理由が良く解ります。

処が一転、驚くべきことに1932年フランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領選に勝利した年には、工業生産は1929年の半分程度になってしまったのです。

その没落振りを知る手懸りが残っています。

RIロータリー発祥の地、シカゴ上院委員の委員談。   

「台所から出る生ゴミを始め、その他のゴミを下しているトラックの廻りを凡そ35人の男女が取り巻いていた。トラックがゴミの山から離れるや否や彼等はみな棒で堀り乍ら食物や野菜のカケラをひっかき廻した」今でもこうゆう光景は世界中で見られますが、当時の日本では「女」「娘」を売りとばして食い継いだのです。

賃金は60%もカットされ、今日流に云えば30万余の給料取りは12万余になり家賃を掃い、家のローンを払えば食費も残らなくなり、食べれば家を手離す破目になり、

アメリカで問題になっています。

「或牛飼いの農家は2076人の人達が一年間充分に食べられるだけの牛430頭を出荷したにも拘らず、本人の手許には借金を掃えば手許には一切れの牛肉を買う金すらない有様です」アメリカのフィラデルフィアといえば、ボストンと並んでアメリカ合衆国独立誕生の地で、1776年にジェファーソン大統領が独立宣言を発表し、1778年には憲法発布1800年迄連邦政府の首府のあったところです。

筆者の亡き友人の住んでいたところで、それは美しいヨーロッパの香りのする町で独立記念館に自由の鐘を見に行ったものです。

「2家族計15人が3部屋に住まざるを得なくなり、椅子の上、床の上にも寝ている」位の困窮振りでした。

シカゴの有名なギャング アルカポネが脱税容疑の名目で逮捕起訴、有罪となり10年の刑に服したのも1932年のことです。

1933年3月 第32代大統領に就任したF・D・ルーズベルト氏は直ちに特別国会を招集し、普通なら10年はかかると云われる多数の景気対策法案を僅か104日間で成立させ危機に対応したのでした。以来アメリカ大統領に当選就任後の3カ月間、100日を「国民との密月の時」と呼ばれ、この100日間の実績が大統領支持率を左右するといわれています。このルーズベルト大統領の打出した政策をニューディール新しい政策と呼び、今日2009年の100年に一度といわれる世界大恐慌のもニューディールを打ち出そうとオバマ大統領は頑張っているのです。ルーズベルト大統領の頭文字Rにちなんだ訳でもないのでしょうが、ニューディールは3つのRの頭文字から成り立っています。

① RELIEF(救済)②RECOVERY(回復)③REFORM(改革)

これは思い切った財政支出によって収縮しつつあった大衆の購買力の量を増加させ、資本主義を前進させようと考える人の社会哲学といわれています。今の日本で話題になっている定額給付金もこの考え方の延長にあります。反対している議員も地元へ帰れば交付を待ち望んでいる人の多さに戸惑っていることでしょう。

ルーズベルト大統領はアメリカ国民の3人に1人が貧しい家に住み、粗末な着物を着てまずい食事をし、借金を背負っている農民、住宅ローンに苦しむ住宅所有者に直接援助を与える数十億ドル(当時の金)の緊急法案を可決させました。失業率救済の為には、数十万マイル(1マイルは約1、6k㍍)に及ぶ高速道と一般道、橋、公園、公共施設、学校、病院、空港、運動場、プール、レクレーションセンター等々の建設に、1年間充分に暮せる丈の賃金を保障するこの法律で、1400万人にのぼると云われる失業者のうち100万~300万人を雇用したのです。「何人も餓えることは許されない」というルーズベルト大統領の決意が伺えます。

当時ニューディールによって不況を脱したと云われるアメリカ経済の復活は、実は1ドルのうち30セントが国防費といわれる第二次世界大戦の戦時需要にあったというのは皮肉です。経済復興が戦争特需にあることは良く知られています。

ロータリー発祥の地シカゴが全米一の大工業、農業都市として発展したのは、シカゴ出身の第十六代リンカーン大統領の時、1861年に勃発し1865年に終結した南北戦争の兵站基地となったお陰だし、第二次世界大戦後の日本が経済的に復興しガチャマン景気(織物の機械を1回ガチャンと動かすだけで当時の金で「万円」という大金が転がり込んだことを指す言葉)といわれるような好景気を迎えることが出来たのは

1950年6月24日~1953年7月27日まで続いた。中国北朝鮮対アメリカを中心とする国連軍との戦争、いわゆる朝鮮特需にあったことは記憶に新しい処です。

当時、福岡の病院は負傷兵で埋り、その時に外科技術、脳外科手術が急速に進歩したとさえ云われました。

TVが教える国旗の揚げ方と日本の国旗

2009年オバマアメリカ大統領は先述の大統領就任後100日間の国民との蜜月期間をより効果的なものとする為、直ちに金融機関、自動車産業、住宅ローンの支払い緩和、失業対策等々のニューデール遂行の為の経済安定化法案をいわゆる景気対策法案を下院に提出しました。

第一回目は否認、共和党との話し合いの上の修正法案は第二回目に可決。その時の下院議長は、ペロシ女史(議員)でした。その時写し出されたペロシ議長の背後には「タテ」に吊るされた巨大なアメリカ国旗星条旗がありました。

つまり、アメリカ下院議会議事堂に揚げられている星条旗は横ではなかったのです。

2009年オバマ大統領の初の上下両院議会演説は2月25日この下院議事堂で行われその背後には「タテ」に星条旗の赤白のストライプが大きく写し出されました。

オバマ大統領はこの法案の署名場所をアリゾナ州のフェニックスに移したのですが、その背後、舞台の上には数十本の星条旗が三脚に入れて立てられていました。

アメリカでは、このように公式の場所、行事でも国旗の扱いは自由です。何故なら国旗は掲揚することより、夫に対し尊敬の念を抱き表わすことに意義があるからです。

まして民間の団体に於いては、国旗をどのように掲げるか或は置くのかは自由なのです。

ちなみに日本の国旗は1870年明治3年の大政官布告によって、タテはヨコの3分の2。赤い丸は直径が旗のタテの5分の3と決められました。

しかし1873年(明治6年)当初は国旗の掲揚は、祝祭日、元始祭、新年宴会、孝明天皇祭、神武天皇祭、神嘗祭、新嘗祭、天長節に限られ固く禁じられていました。

但し天皇行幸(或場所を尋ねられること)は別とされていたのですが、それでも日章旗を掲げる家は僅かでした。

政府はその為、学校教育を通じ、又、日清日露戦争への国民の志気を高める為国旗掲揚が奨勵されました。

フランスやアメリカが自由と独立を勝ち取る為、国旗の下団結したのと比べ、これだけの差があるのです。

アメリカ大会に見るRI大会

ケビンコスナー・ホイットニーヒューストン主演のアメリカ映画ボディーガード。

全米一の人気歌手のボディーガードを勤めたケビンコスナーは最後にその職を離れ別の職につきます。その映画のラストシーンはアメリカロータリークラブの地区大会(或はアメリカカナダRI大会)の映像でした。そのガバナー席のうしろには巨大なアメリカ国旗がタテに吊り下げられ(アメリカ下院議会議場と同じ掲げ方)その前にはロータリーの標語らしきものが同じように下げられ、ロータリーの旗は吊り下げる場所がない為、三脚に立てられ隅?におかれ、そのうしろからケビンコスナー扮するボディーガードが辺りに目を配っているシーンでした。

シカゴ ユニオンクロス駅の教えるもの

RI発祥の地シカゴへは日本から行くと殆んど飛行機ですがアメリカ国内、それもシカゴ近郊に住む人、或は自然を楽しむ列車好きの人は、列車でシカゴ・ユニオンクロス駅に到着します。改札口を出て広いコンコースに入ると先ず目に入るのは壁にタテに吊り下げた星条旗です。この星条旗を映し広い階段の処で乳母車に乗った赤ん坊が落ちて行く別の映画のシーンは有名です。

オリンピックの国旗掲揚

オリンピックの表彰台に上る金、銀、銅のメダリスト達、やがてその国の旗がスルスルと上ってきます。その時の各国の旗、日章旗もタテに掲げられている時、横に掲げられている時とマチマチです。

まして民間の場合は主催者、催物場所哲学によって国旗の掲げ方はそれを見る人に尊敬の念を与えるものであれば自由なのです。

【参考文献】

アメリカ人民の歴史 上・下(レオ・ヒューパーマン著 小林良正 雪山慶正共訳)

アメリカ歴史の旅(木村譲二・今井今朝春)



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