元東京目黒ロータリークラブ会員
安全工学の先駆者 北川 徹三氏について
明治40年8月18日生 昭和58年12月17日歿
元横浜国立大学名誉教授 日本安全工学協会会長 日本原子力研究所技術顧問
化学博士 元目黒ロータリークラブ会員 昭和51年2月5日入会
その功績により勲2等瑞宝章受章
日本の安全工学の先駆者で「基本安全工学」を始め、著書論文多数
安全工学講座全9巻
1) 火災 2)爆発 3)破壊 4)故障 5)人身災害 6)健康障害
7) 大気汚染 8)水質汚染、土壌汚染 9)騒音振動
の編集長として工学、医学、関連諸科学の第一線研究者が執筆したこの全集は安全工学、防災工学のバイブルとして後の研究者に引き継がれ、今日の全ゆる工事の安全性に係る学問的な裏付けとして活用されています。
又、北川博士は第二次世界大戦末期、海軍技術中佐として海軍技術研究所、現防衛省技術研究所(目黒)に勤務中広島に原子爆弾が投下され、化学者として初めて長崎の原爆被災地をも含めて調査に当った歴史的人物です。
それもその筈、昭和29年には「原子核内化学反応に関する研究」と題する論文を発表、同時にディラック博士ノーベル賞記念講演「電子及び陽電子の理論」を翻訳、時の権威理化学研究所の仁科博士に提供「僕も翻訳しようと思っていた」と語らせています。
この経緯については「原子爆弾の思い出」という小冊子にくわしく述べられています。
その著書「基本安全工学」という学生必見の書物の6頁には「東京目黒ロータリークラブの社会奉仕委員長」として(同じく著名な化学者であり、東京目黒ロータリークラブの会員)志田正二博士と共に「安全な生活」と題する小冊子を作成、会員関係者に配布と記述されています。
幸運にも私はその著書、小冊子、或は研究論文としての
○続・環境問題の正しい解釈
○光化学スモックの原因についての一解釈
○アルコールの影響による交通災害とその対策
等々を頂戴し、執筆活動の一助とさせて頂いております。
それ以上に、物書き屋、学究の一員として認めて頂いたことは終生忘れられない喜びでした。
又、亡くなられた後も奥様が御主人を偲んで出版された歌集「山路ゆく」北川徹歌集の贈呈を受け、ガンの手術に苦しみながらも、人と自然とを暖い目をもって鋭く観察うたいあげた、正に学究の名にふさわしい歌集に感動しました。
辞世 ○人生こそ楽しかるらん 無より出て 無に帰りゆく われにしあれば
○点滴に 採血注射と忙しく 働く看護婦の やさしさ忘れず
全ゆる人災、天災、計画、調査、設計、施行には安全工学、防災工学の権威ある学者の協力研究が必要な理由はここにあります。
目黒ロータリークラブはこのような人生の先輩を数多く持ち
≪一粒の麦もし死なば只一つにあらん もし死なば数多くの実を結ばん≫
と聖書にあるように、その偉業を永遠に受け継いでゆかねばと考えます。
一業種一人の全ての会員は「師」であるという学ぶ気持ちを持つことこそロータリーの本質でもあると思うのです。
私が目黒ロータリークラブの会員であることに誇りを持つ理由はここにあります。
2009年1月30日
真野 博記
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