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日本のロータリークラブの誕生(その2)
その人物と思想と背景

明治時代、経済による近代日本形成の父といわれる人に渋沢栄一(1840~1931)がいます。徳川最後の将軍慶喜の美昭武に従って1867年フランス パリ万博博覧会へ随行、後 スイス、ベルギー、オランダ、イギリスと当時の先進国を巡り「産業により衣食住、国を豊にするのが文明であり、それを荷うのがビジネスマンである」ことをしりました。

このビジネスマンが他のビジネスマンと協力して大きな仕事をする為には共同資本による銀行というものがあってこれを利用し、その利益は慈善事業となって社会へ還元されることを見聞きしたのです。

帰国後、明治元年静岡で藩を主体とする商法会所という銀行に似た組織をつくりました。

26才の時です。大蔵次官のような宮仕えの野に下のに彼は、第一国立銀行を設立、総裁に就任、その後 日本鉄道(1887)東京海上保険(1878)共同運輸(後の日本郵船1883)大阪紡績(後の東洋紡積1884)東京ガス(1885)帝国ホテル(1887)サッポロビール(1888)石川島造船所(1889)北海道定鉱鉄道(1893)等々を設立、関係した会社は500社にのぼり、慈善、教育の分野では東京市養育園、東京女学館、早稲田大学、日本女子大等、多数にのぼります。

彼は7才から14才まで、武士の子といて当然、四書五経を学びました。26才で明治維新を迎えた時、既に自分の学んだ学問を基盤として、商人道を説いた石田梅岩の書 都鄙門答をも学び影響を受けたことは想像に堅くありません。処が、徳川幕府は人の道を説く儒学に加え、更に君主の絶対服従、忠実心の函養、上下関係の強固な維持を説く「朱子学」を幕府存続のよりどころとし、その考え方は明治政府によっても引き継がれ儒教と朱子学を交ぜた、あの有名な教育勅語が1890年明治23年に発布されます。

渋沢栄一は企業人として石田梅岩のように「商売の利は義に反する」というこの朱子学に反発し「利と義の一致」という考えを近代産業の経営とその発展の中に取り入れたのでした。倫理道徳と金儲けは共存するもので、事の両輪でなければならないことを知らしめる為、孔子の論語、即ち儒教に基いた「論語講義」という書を記しています。

自由な経済人である彼は「戦争は国の富を増すというのは誤りで長い目で見た時、国際秩序は経済の自由な競争によって保たれる」と説いたのでした。

日清戦争 明治27年~28年(1894~1895)の賠償金により日本の産業革命が行われ近代化が進み、冨が蓄積されると考えていた日本の企業経営者に大きな衝撃を与えたことは勿論だし、それから100年経った今、私達が同じ考えを持って自由主義に基く経済活動をしていることを考えるとき、その先見の明に驚かされるばかりです。

それは次の言葉によって云い表されています。

"須らく事業の人たるに先立ち道義の人だるべし、蓋し事業の経営による全力を傾倒するは因って世を益せんが為なり、故に吾人ば道義を無視して、いわゆる事業の成功を獲人とする者には組せず。」

近代日本の学問は明治以降西洋の学問を学ぶことによって成し遂げられたことは否めませんが、日本にも石田梅岩や渋沢栄一のように、2000年に及ぶ、日本人の知恵の倫理感の蓄積が経営に取り入れられていることを知るとき、もう一度日本人的なものを見直す必要があるでしょう。

それを学ばないから、牛肉の消費期限の無視、お土産品の賞味期限の改算、料亭の使用する材料や商品のウソの表示、或は牛乳の消費日の改算等で倒産、閉鎖、縮少、法の下での管理等々社会的制裁を受けるような事件が起るのです。

その経営者達がロータリークラブの会員、会長経営者であったことを知るとき、ロータリーの「奉仕の精神」を日本の先駆者に学ばなかったことを悔やまれてなりません。


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