ロータリークラブ存続の危機を救った
国旗 日の丸 という君が代国家
1868年、明治維新を経て明治、大正、昭和と日本が植民地主義の一環として朝鮮、中国へ進出を行っていた時、自国の中国に於ける杈益が最も紀されると危惧して日本と対立していたのはアメリカでした。その為、大正13年(1917年)には排日移民法を制定し日本人のアメリカへの移住を制限しました。やがて日本が現在の中国東北部に満州国を建国し、日本の権益を強めるに従い、中国を支援するアメリカ、イギリス、フランス等との関係がこじれてきました。
日本は国を挙げて国益を守ろうとして、夫等の国々と対立、遂には1941年の第二次世界大戦へと突入するのですが・・・。その時、日本の軍部に強い影響力を持ち協力していったのが右翼といわれる人達でした。
アメリカのシカゴに本部を置き、名前も横文字のロータリークラブがその標的になったとしても何等不思議のない社会状勢がありました。当時の右翼の活動家にとって、そのような団体に圧力を加え解散に追い込むことは最高の勲章でした。
彼等にとっては「スパイ活動をしているだろう」というこの上もない口実だったのです。
当時の右翼は仕込み杖、仕込みステッキといって、杖の中に細身の刀を仕込み、それを抜いて脅せばたいてい片がついたのです。
昭和8年(1933年)その連中が京都ロータリークラブへ押しかけたのです。
当時の会社は京都電燈株式会社の社長でしたが命がけで「ロータリークラブは決して、親米反日のクラブではない。私達は自分の職業を通じて日本のお役に立とうとしているクラブなのだ」と説いたに違いありません。
石田梅岸や渋沢栄一、或岩は米山梅吉の考えを説いたかも知れません。
「来週来て頂ければその証しをお見せする・…」等といってその場を立ち去らせた努力は並大抵なことではなかったろうと推察出来ます。
次に右翼が例会場へ来て見たものは壁に掲げられた日章旗であり、例会の始めに君が代の国家を斉唱したことでしょう。何故なら私達も第一例会の頭で国家を斉唱するからです。京都ロータリークラブの会長はじめ会員一同は死の恐怖を体を張って克服し右翼を納得させて退散させロータリークラブの存続に成功したのでした。
そして昭和10年(1935年)日本橋ロータリークラブはこの事件に刺激され、より強くロータリークラブの存続を願ってロータリーソングを作り、例会で唄ったのが全国に拡がりました。「奉仕の理念」と「我等の生業」の二曲がそれです。歌詞を見ればお解かりの通り、古文で書かれた歌詞、何で平和な時代に「御国に捧げん 我等の業なりわい」という歌を唄うのかこれで理解することが出来ます。命がけでロータリークラブの存続を守った先輩達に敬意と尊敬の念をもって日章旗を例会場に掲げ、君が代やロータリーソングを唄うのはこうゆう理由からです。
国旗の掲げ方
世界各国、いずれも国旗は横長と決まっています。
だから横に貼るのでが正しくて、タテに貼るのは間違い?本当にそうでしょうか。
国旗掲揚の仕方に関しては2通りの方法があります。
一つは公的機関や国と国との交わりの場合に掲げる取り決めで、儀典で細かく決められ、相手国に不敬があった時は国際紛争にもなりかねません。
一つは民間人による自由な自国旗の揚げ方です。この両方に共通しているのは一つは国民として国の象徴として国旗を掲揚すること。
一つは国旗に対し敬意を表すことです。
公的なものとしては…
外国から賓客を迎える時の道路、家、宮中での晩餐会会場、在外公官、政府機関の執務室、政府主催の催物会場等の掲揚の仕方、外国の国旗と日本の国旗はどちらかが右でどちらかが左が等々。
その為、各国ともプロトコール儀典に関する部署を設け、事細かく決めています。
その為、プロトコールと云えば フランス儀典局をも意味します。
日本でも同じ部署で細かいところ迄遺漏のないようにつとめています。
旗ではありませんが、元東京目黒ロータリークラブ会員だった、甲斐正雄さんは宮内省音楽隊の隊長であり指揮者でした。
晩餐会場では天皇陛下の歩く速度、乾盃の時間、食事の進行等々によって演奏時間をきちんと決めなければならないので、選曲、編曲、演奏に大変神経を使うと語っていました。
国旗については見る人から左側が自国、右側が相手国、部屋に飾る時は政府の執務室でも大使館等の部屋でも、三脚に国旗を立てて外から見て右奥に置く等と決められた方法を守っています。
三脚にさして立てる国旗は軍隊の「休め」の型からきています。銃も三本、三脚のように立てれば倒れないので、この型は理想的です。
しかし、一旦緩急あれば、その旗は垂れずに一杯に拡がります。それは活動している掲揚の仕方ですし証木家です
ニューヨークにある国連ビルの前には加盟各国の旗がポールに掲げられていますが垂れ下がっていて、国旗の全貌を見ることは出来ません。それは各国が国連に加盟していることの証であるからです。
しかし、国連決議に基いて各国が行動を起こす時は横に一杯に拡げた国旗を服に縫い付けたり、車に貼ります。
民間では…
処で民間では国旗は掲げることに意義があるので横に貼ろうが縦に垂らそうが自国の国旗の場合は一向に差し支えありません。
それは、1979年 フランス革命の人権憲章第一条「人は自由かつ権利において平等なものとして出生しかつ生存する」ということを国旗を旗印しに勝ち取り、その憲章が今日の世界の民主主義、自由主義の基となったからです。
今、この国家、人権、団体を守る為、アジア、中近東、ヨーロッパ、北南米等、全ゆる国はその国旗を開いて、その権利を守っています。
それは公的な決まりとは違って横に貼ろうと、縦に掲げようと一向に構わないのは"この旗の下に"という激を象徴しているからです。
アメリカのジャイアンツの優勝パレードでは、旗竿を横に伸ばし、縦に垂らされてはためくアメリカ国旗が五番街の通りを埋め尽くしました。
2002年9月9日、アメリカ貿易センタービル、或は国防総省ペンタゴンのビルがアラブ人による自爆テロで破壊された時、アメリカ政府は、なんと大きな星条旗を上から下までビルがすっぽりかくれるように「タテ」に、つまりロータリークラブが背景にタテに吊り下げるように、掲げて、アメリカ国民に一致団結、星条旗の下にテロと闘う決意を促しました。公的機関ですら「タテ」に国旗を垂らしたのです。
処で日本の国旗 日の丸の旗は簡素で美しいものです。ニュージーランド証券取引所会頭 ロイド モリソン氏は日本、スイスの国旗は力強くシンプルで世界で最も美しい優れた国旗である。ニュージーランドの国旗もこれに習って見直さなければならないと述べています。
尚、ロータリークラブに掲げる国旗の解釈については30年前に目黒ロータリークラブに於いてなされ、その結果は The Rotary Club Tokyo Meguro 会報7昭和49~50に
"国旗アレコレ"として故清家清会員によって解説されています。
その際、外務省のプロトコール儀典についての調査も述べられていますから一読下さい。
40年による目黒ロータリー会場から掲げられていた国旗が下ろされ休まされたことは悲しいことです。
ちなみに江戸元禄時代、宮中から下向してきた勅使を饗応する為のプロトコール儀典長が忠臣蔵で有名な吉良上野介でした。
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