【米山記念奨学会】
交換留学生ではなく奨学金を支給する理由
真 野 博 会員
今起こっていることを確実に、もっとより深く理解する為にはそれが、何時何処で、誰が、どのようにして始めたかを知ることが大切です。
ロータリー財団の主な仕事に交換留学生制度があります。日本とロータリークラブのある外国との間で、高等学校の生徒を相互に留学生として交換し合い、教育、生活、を通じてお互いの国を将来に亘って深く理解し合おうとする制度です。しかし、昭和28年(1953年)日本のロータリークラブの創始者米山梅吉氏を偲び称えて、東京ロータリークラブが始めた「米山記念奨学制度」は何故か104カ国から日本に留学している大学生を対象に奨学金を支給するに留まっていてロータリー財団のような交換留学制度ではないのです。
それには次のような事情がありました。
東京ロータリークラブでは初めの海外からの留学生を日本に2名招致し勉強して貰おうとしたのですが1名しか来日しなかったのです。2名分の来日資金を用意していた東京ロータリークラブでは、来日しなかった1名分の資金を日本で勉強している大学生に、奨学金として支給することにしました。 不確実な来日学生を待っているより、既に来日している大学生に奨学金を渡したほうがより効果的であると考えたのでした。
奨学金を貰っている学生は、隔月にレポートの提出を求められていますから、米山奨学会の効果も確実に知ることが出来ます。
又、世話クラブを指定し、クラブではカウンセラーを指名し、奨学生の健康、悩み、学業の進捗状況などの相談と解決を計っているのも特徴の一つです。
アメリカバージニア州立工科大学で32名の死者の出た銃乱射事件の犯人である韓国籍を持つ移民学生は、精神科の診療を受けるなど文化思想、生活、環境の違いに悩んでいたことが報じられています。
若し、米山奨学会のようなカウンセラー制度があって、隔月にカウンセリングをしていればあのような悲劇は防げたのにと思いました。
処で今の地区制度が出来る22年前、東京の2750地区は258地区と云われそのテリトリーの中には沖縄も入っていました。それが地区再編によって沖縄は外れ代わりに現地のロータリアンの希望によりグアム・サイパン等のパシフィックベイスングループが入ってきました。
昭和55年(1980年)国際ロータリー75周年を記念して(外国では15・75・100を記念する習慣があります)258地区では「ただいま日本人、留学生日本印象記」という小冊子を発行し米山記念奨学会への理解を深めて貰う試みをしました。
この小冊子の冒頭RI国際ロータリー前理事、竹田恆徳氏が「はじめ」の挨拶をしています。
1945年昭和20年第二次世界大戦終結以前まで、日本では天皇の兄弟の当たる3直宮家と姻戚に当たる12の宮家がありました。
明治天皇の皇女(娘)つまり大正天皇の妹を妻として迎えた竹田氏も竹田の宮様と呼ばれていたのですが、竹田という姓が庶民的であった為、臣籍降下即ち普通の国民となっても違和感を抱く人はあまりおりませんでした。
この先、もと宮様の述懐によると「宮様から庶民になって、一生を振り返って本当に良かったと思うのはロータリークラブの会員になったことです。
世の中のことを全然知らなかった私は後楽園に関係していたので、運動競技場経営の代表という職業分類で入会しましましたが、あらゆる方面で活躍している人々と友達になれたということは、とても有難いことでした」と語っています。
そのご子息(竹田恆和氏)は大崎ロータリークラブの会員で、日本オリンピック協会の会長をしています。先年、天皇家の後継者問題が起こった時、男子の皇位継承者の資格の中にこのご子息の入っていたことも記憶に新しいところです。
今から27年前に出版された米山記念奨学会に関する小冊子から、このようなことも解るのです。ロータリーって奥が深いです。
この米山記念奨学会は昭和42年(1967年)財団法人として認可され、文部省の監督下に置かれていて、その寄付行為は文部科学省の認可を得て行われます。
同じ年、昭和42年(1967年)創立の東京目黒ロータリークラブでは40年経った今、普通寄付の累計10,136,950円、特別寄付の累計28,140,537円、合計30,277,537円と莫大なものとなりました。この金額は約30人の米山奨学生を支援したことになりますから、一クラブで、それだけ日本を理解して貰う為の国際貢献をした訳です。ちなみに日本全体のロータリークラブの集金は14億6400万円です(2006.6月)
日本のロータリークラブ数は2326。若いクラブもありますが「全てのクラブが10年、20年・・・と力を合わせると」と考えるだけでロータリーと日本の未来が明るくなります。
因みに元会員の近藤正春氏は米山記念奨学会に理事。色々とご指導を頂きました。
眞野 博(記)
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