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片山英史会員

目黒雅叙園執行役員 妻:由紀子 昭和35年7月31日生

冬の間山枯れをしたように見えた吉野山も春ともなると一斉に桜の花が咲き、私達に「あんな処に桜があったのだ」と感激を与えてくれます。「いざっ!!」という時に桜の木のように咲き誇り存在感のある人間になりたいと思うのだが・・。それを見事にやり遂げた人が本編の主人公。
東京目黒ロータリークラブ45周年例会では、来賓、会員の食事、或は飲物に粗惣がないかと会場を処狭しと動き回り社員や配膳係に指示を出す姿は正に普段とは違う本当の職業人の姿が其処にあった。「ロータリーの目的の本質は、個人による奉仕活動の実践を受諾することにある」通り、その姿からロータリアンとしての実践に觸れることが出来た。それもその筈。人間或仕事で身を立てようとするには2つの大切な要素がある。1つは教育、1つは自己研鑚。大きな希望をもって広島県尾道市郷関を出て東京に出てきた片山さんは、赤坂山王神社の側に立つ名門ヒルトンホテルでアルバイトをしたら国際観光専門学校で2年間ホテル経営学を学び、それだけではあき足らず、卒業と同時にイギリス、ロンドンに渡りウエストロンドンカレッジでホテルマネジメント及び経営の全般について学んだ。この留学もヒルトンでの真面目な勤務態度をイギリス人の部長に見とめられ、紹介状を書いてくれたからに外ならない。
自己研鑚で云えばイギリスでの学校を卒業後ヒルトンホテルに勤務、スイス、バーレン、イギリスで13年間も現場業務や語学の研修をすることが出来た。1974~1987年の話である。当時は海外旅行といえばパック旅行が主流。風呂の使い方も解らぬ人もいて、洋式バスで入浴中、便器に座って湯船からお湯をすくってザーッ!!。これで水びだしにならないほうが不思議。下の階まで水漏れで大騒動。「こんな時の弁償は旅行代理店がしましたね」1975~1980年という頃はこんなこともあったとか。 1988年舞浜にヒルトンホテルが出来料飲部長として活躍。「結婚式の当日花婿さんが来ない結婚式がありました。食事だけして頂き、ご祝儀は返却、「花嫁さんから彼には別に好きな女性がいた」という話しもありましたが、困るというより気の毒になりましたね」常にお客様の立場に立つからこそ、このような事態にも直ぐに対応出来るのだろう。2004年雅叙園が出来こちらに移る、360名、アルバイトも含めると500人を超える社員と共に婚礼以外、米寿、還暦、長寿、誕生祝、結婚祝、七五三祝、入学祝、卒業祝等々の祝賀祭営業料飲全ての執行役員として腕を揮うことになる。昔と違ってコンピューターの時代、顧客管理にも力を入れ、絶えず顧客と会社の連携を良いように保つように心掛けている。雅叙園で結婚式を挙げた人は幸せである。やがて子どもが出来、成長し、何の職業になるか?と考える時、学問と自己研鑚により人もうらやむ地位を築けるという見本が目の前にいるから、親子の絆の深まることは間違いない。出身地の尾道は風光明媚な処。そういう処で産れ育った心優しい人に世話をされる人は幸せだ。「老後は故郷に帰りたい」と願う気持ちは良く解るし楽しい人生が待ち構えているに違いない。ロータリーにとって貴重な存在である。
和歌
深山木のその梢とも知らざりし
桜は花に 現れにけり

真野 博 記


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