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校内柔道界の暴力と尖閣問題について

今年は何事もありませんようにと年賀状に「平穏無事」と書きましたが、オリンピック招致に水を注す柔道界の暴力という不祥事、アルジェリアに於ける日揮社員の不慮の死事件、尖閣諸島問題、エジプトでの気球墜落等が起きてしまいました。
恐らく、暴力沙汰を起こした柔道の指導者達は想像も絶する「なぐられ、蹴られた」ことのない人達なのでしょう。
私の通っていた中学の校長は鹿児島出身で、少年特攻隊を鍛える為、柔道は中学生で全員有段者、新聞の会国誌に掲載された程ですが一度もなぐられた経験はありませんでした。
処が学校に配属された将校による軍事教練では…。校庭に並んだあと"銃取れ"という号令で一目散に武器庫へ走るのですが、3月31日生まれというチビな私が手にする銃は重い38式歩兵銃、体の大きい者は軽くて小ぶりな38式騎兵銃でした。
すぐに射撃が出来るように左ヒジで匍匐前進をし、右手だけで銃を持つのですが、重いので銃尻が下がって地面についてしまいます。
「天皇陛下からお預りしている大切な銃をこする奴があるか!!」とオシリをガツンと蹴飛ばされます。
柔剣道の訓練の時教官は脳天を木銃でポカリ。やがて心臓の処につけている防具の上から力一杯「ヤァーッ」と突かれるから後ろへふっ飛びます。
教室で一人がヘマをすると、一列横隊に並ばせビンタをバシッバシッ。自分の手が痛くなると履いているスリッパを脱いで、スリッパでピシャリピシャリ。もっとひどくなると生徒を二列横隊に並ばせお互いに向き合わせると、頬をお互いに叩き合わせる始末。自分の友達を真剣に叩けないので「そっと」叩く真似をすると途端に「こら。殴るというのはこうするんだ」とパチン。
考えてみると学校教育では一度も殴られ、蹴られたことはないのに13~14才の子供は、今で言う部活動の親玉のような軍事教練では叩かれっぱなし。
1944年3月、日本の敗戦が色濃くなると「決戦の非常措置令に基く学徒動員実施要領により中学生以上は軍需工場へ。山手線鶯谷駅から総武線船橋駅迄毎日通うことになるのですが、其処では御多聞にもれず、アメリカ軍戦闘機P51の操縦士の顔が見える位低空による機銃掃射。大木の陰に逃げ込んで躱す恰好は正にカクレンボ。
子供にとっては少しも恐くなく、殴られることから解放された安心感の方が強い始末。
今にして思えば、殴っても、蹴っても何の役にもなれず、当時は鬼畜米英を倒して日本を守るという大きな"目的"が人を動かしたのです。
私の父の祖父は水戸藩士、即ち明治維新では賊軍でした。今から50年以上前に冠婚葬祭で集まり、酒が入ると決まって誰かが「世が世なれば我が一族は…」と始めるのでした。
四男二女の三男として生まれた父は、当時は長男以外は全て戦争で死ぬ要員でしたから、迷わず霞ヶ浦海軍航空隊へ入隊。飛行機エンジンの分解組立競技会で優勝という器用さを発揮するのですが、その航空隊へ司会官として赴任してきたのが海軍兵学校出の山本五十六元師。山本元師は父達に「私は飛行機のことは何も解らないので教えてほしい」と云ったそうです。
兵隊にとって神様をもいえる山本元師のこの姿勢に感激した父は亡くなる迄「私の尊敬する人物は山本五十六元師」と言っていました。
人間どんな地位にあっても、又いくら年をとっても勉強する心を養わなければならない。
目下の者のお陰で今日の自分があるのだから目下と思われる人を大切にしなさい。「災は下から」というから。
「やってみせ、言ってきかせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かぬ」。
山本元師の言葉通り、私は父から一度も叩かれたことはありませんでした。
ということは、ほめる相手をじっくりと観察しなければこういう指導は出来ないのです。
私が大学を卒業した時、「これで親の役目は終った。あとは全て自分の判断、自分の稼ぎで対処すなさい」。私はこう云った親父を今も尊敬しています。
全国から集まったオリンピック候補選手は、それなりの技術を持った人達です。なにも殴ったり、蹴ったりする必要はないのです。
柔道界の人達もこういいう経験をしていれば問題にはならなかった筈です。
処で38式の歩兵銃といえば…。
私は日本国防調査協力会に会長として沖縄の海軍航空隊30周年記念に夫婦で招待され、今、尖閣諸島で活躍しているP3C潜水艦偵察機に乗りました。海上50米のところを飛びその性能の素晴らしさと士気の高さに感激したものです。その時航空自衛隊の司令官からも招かれスクランブル待機所の視察もしました。
完全装備のジェット戦闘機の側にいる2名の隊員の立派な顔立ちは、太平洋戦争中の特攻隊員の顔立ちを彷彿とさせるもので深く心に刻み込まれました。それもその筈、スクランブルをかけてもせいぜい翼を振って退去を促すだけで、ソ連領空を誤って侵犯した大韓航空の旅客機を撃墜し、多くの死傷者をだした当時のソ連とは違って日本は専守防衛なのです。
戦闘機には対空ミサイルも積んでありますが、「相手が攻撃してこなければ、自衛の為に発射することは出来ないのですね」
「はい」
「相手が撃ったミサイル等は確実に当方に命中するのですね」
「はい」
「それじゃ、退待機所にいる人達は『死ににゆくようなものですね』
それでも「日本が先に撃った」という奇弁をつかうからであろうことは、射撃管制レーダーを照射しても、「してない」という国の云いそうなことです。日本の自衛隊は警察予備隊から出発したもので、武器の使用は警察官等職務執行法に準じているのを見ても、日本から攻撃を仕掛けることのないことは解る筈です。
昨年4月から12月迄の自衛隊のマクランブルは計349国。三尺基地からロシアに対しては180件・沖縄からは160件の多さに達しています。
処で後方支援等の第一次イラク派遣自衛隊員の壮行会に招かれ、旭川帰国へ行きました。案内してくれたのは自衛隊員の装備一切を担当した防衛庁(現防衛省)の担当課長一佐殿です。時間があるので資料館を案内してくれましたが、そこに展示してあったのがなんと38式歩兵銃(明治38年開発)と38式騎兵銃でした。
ランランと目を輝し、約60年振りに対面した銃について家内に説明したことは云う迄もないことですが、それを聞いて一佐殿は「あーここへご案内して良かった」と喜ばれました。私は通訳として現地へ行くことを希望しましたが、自衛隊は「自己完結型」で何でも出来、間に合っていると断られました。
戦争体験者であるなしに拘らず日本人全ては「戦争はしたくない」と考えています。
それが防衛庁が防衛省になり、憲法も自衛隊法も変えようというのは世界の政治がそうさせるのです。
国の元首が皇室のある国へ招かれ、晩餐会でスピーチをする時には必ず「ヒズ マジェスティ或はハーマジェスティ」"陛下"という呼びかけから始まるのに「あなた」としゃべり出して通訳を慌てさせた非常識な前中国国家主席江沢民氏。彼による徹底した反日教育、裏返せば一党独裁の中国共産党と保身の為に行った反日洗脳にも拘らず、一般中国国民は「生きる為に日本とも仲良くしたい」と考えている人は多いに違いありません。
一部の洗脳された中華思想、即ち世界は中国を中心に廻っている、成り立っていると考える人達は、尖閣問題で「日本と戦争をして、我々が蒙ったと同じ思いを日本人にもさせろ」を息巻いています。
日本の商店、車、日本人に暴行を加えるといった行動を見ると、昔の人の云う"あやまちは忘れることは出来るけれど、許すことは出来ない"というのはそれこそ誤りで「忘れることも、許すことも出来ない」のが人間の本性なのです。
中国の云う小競り合いはあっても、戦争になれば中国そのものも孤立する危険があるので全面戦争にはならないでしょう。
しかしその過程でもし自衛官、海上保安官、民間人に死者が出るとすれば悲惨だし、中国が国際連合の常任理事国でいる限り、国連も当てにならないのは解り切っているし…。
ドイツがその国力、経済力でヨーロッパを索引しているように、日本も国力経済力をつけ、地域社会から頼られる存在にならなければこの問題は解決しないでしょう。
つまり全ては政治の問題であって、その政治とは「力」が左右するものであることは明かです。アベノミクスはその意味で大多数の日本人に支持されているのです。
                                          
                                         真野 博様
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